留学の目的を明確にしよう

その国に留まって、滞在して、学ぶ「理由」はなんでしょうか。「留学」という言葉自体はよく耳にするものですし、留学を通じて得るものも沢山あるでしょう。その土地にただ留まるということは実は誰でもできることではあります。

実は「何を学ぶか」ということが留学ではもっとも問われる点です。ただそこで暮らすだけでは、誰でもできるからです。単に「語学留学」といって、その土地に出向いたとしても「コミュニケーション」を図ることをしなければ得るものは少ないでしょうし、実際に現地の人とのコミュニケーションを断ったとしても、そこで暮らすことはできるわけです。「留学」と聞くと長い旅行のようなイメージを持つ方は、まず「目的」を明確にすることから始めた方がいいでしょう。何のためにそこに出向くのか、何のためにそこで暮らすのか、どうして自分は日本で学び続けることが嫌だったのかをしっかりと考えることです。

人は甘えるものですから、「モラトリアム」というものを最大限活かそうとします。得たモラトリアムは使い切らなければ「もったいない」と感じるのです。人生の中のそのようなモラトリアムで代表的なものは「学生時代」です。特に「大学時代」です。高校までは校則や親の目などに監視されて生きていたわけですが、大学に入学したことをきっかけにして一気に生活のリズムやモラルが緩んでしまう人がいます。それは社会人になるまでの最後の4年間であり、その4年間で人は社会に出るための最後の訓練を行うわけですが、4年間というのはとても長いのです。

その4年間の間に人は未成年から成人へと成長し、やがては人と同じように就職活動に勤しみ、自分が働ける会社に入社するのです。自分がどう生きたいのか、何をしたいのか、そのためには何が必要なのかということを考えることができて、学ぶことができる最後の4年間なのですが、ほとんどの人はその4年間を楽しいものにしようと「明るい学生生活」を実践すべく、合コンや友達、恋人との束の間のドラマを精一杯楽しもうとするのです。

それ自体がいけないわけではなく、それ自体がナンセンスであるわけではありません。誰もがそのような学生時代を経験するものなのですが、実は留学先でも同じようなことが可能です。つまり、留学期間を社会に出るまでの猶予期間として、異国の土地で楽しむことができるのです。それは自分が何のためにそこにいるのか、わざわざ渡航したのかを忘れてしまうほど、楽しむことができます。ただ、学生生活と同じで期間は限られているので、自分の「意志」次第でその留学期間は有意義なものになったり、ムダになったりするでしょう。何をするにしても自分の志ひとつで結果が変わってしまうものです。結果とは、「経緯」が積み重なって得るものです。そこでどのように過ごすのか、何を得るために過ごすのかということを大切にしなければ、なんだか曖昧なまま、何をしに行ったのかもわからないまま、その土地でダラダラと過ごすことになるのです。留学は長い旅行ではありません。何かを学ぶために、その土地に身を置いて学び続けることなのです。「学ぶためのカタチ」ということです。勘違いをしては、いけません。