現在、未来で求められている人材とは

どのような組織も最小単位は「人」です。どのような組織でも最終的な労働単位は「人」なのです。ですから、企業の資源として重用される「人材」という考え方があります。

その「人」がいなければそのビジネスが成立しないという状況は、その「人」に対する企業のニーズを決定付けるものになります。その人がいてはじめて、そのビジネスで利益が得られるということがその人材の存在価値を明確にします。「人材の価値」とは、そのビジネスを以下に成長させることができるか、いかに利潤を残せるのかということです。

現代の企業には余裕がありません。人件費を削るなどということは当たり前で、ムダな仕事をしている人などは一人もいらないのです。ムダな仕事をしているということになれば、給与はただの「コスト」になります。残酷ですが、そのような判断をくだされた人はその場から立ち去る他ないでしょう。仕事はそこにはないのです。今必要な人材は、「クリティカルであること」といえます。何かに対して特化しつつも、組織のバランスを見出さない人材、専門的であり、オールマイティな人材です。そのような人が実際に実績を残せることを人は知っています。そのような人がすべてにおいて優れていることを、組織は知っているのです。

また、さまざまに変化するビジネスの局面において、強い信念とモチベーションを維持し続けることも重要です。ただ惰性で働くのではなく、どのような場面でも自分らしく、自分の能力を余すことなく発揮できる人が求められています。そのような人はたとえ特化したスキルを持ち合わせていなくても、企業は信頼します。実直であること、辛抱強いこと、それらのことも現代では重要なことです。

特に、現代の若い世代は「しらけ世代」と言われています、何においても受動的で、別に出世がしたいわけでもなく、ただ自分が暮らせるだけの対価を得られればいいという人が多いのです。多くを望まず、贅沢もしない、ただ「頑張らない」という人が多いのです。頑張ることに対してある種の恥ずかしさを感じるような人です。そのような人が増えているのです。すべての若い世代がそうであるわけではないのですが、実際に増えているのです。

今の社会が求めているのはそのような人が多い中でも信念を曲げない人です。そのような「しらけ」ムードの中でも、着実に自分の仕事をこなせる人です。そのような人に責任ある仕事を任せたいと、組織は感じているのです。そのような「人材」をどのようにして得るのかということが、企業の人事の課題です。「慣れ」は人を堕落させます。「慣れ」は人をサボらせるのです。目を光らせていないと人はサボる、手綱を握っていないと人はサボるのです。そのような「ハンドリング」には、そのために充てる人材も必要です。そのような監視がなくてもしっかりと働くことができる人材をどれだけ得ることができるのか、いかにして育てるのかが課題です。

新卒の採用は、一部の企業では未だに止まったままです。一部の企業では新卒の採用に対して未だ消極的なのです。新卒よりも、実際に経験のある人が優先されて採用されている現実があります。即戦力であり、働く厳しさを知っている人の方が優先されているのです。若い世代でも、そのような即戦力に負けないだけの意志の強さが求められているのです。