留学終了後に「働く」ということ

留学を終えればやがて人は社会に出ることになります。学生時代は好きなことが学べて、充実していたとしても、社会に出るとそういうわけにもいかないものです。

どのような理由で留学し、どのようなことを学んだのだとしても、それは社会に出るまでの「準備期間」でしかありません。社会に出る、社会に参画するということは、「働く」ということです。働くということは、自分の責任をまっとうして対価を得ることです。それによって自分の足で立つこと、経済的な基盤を成立させて、自分で生きていくことを意味します。社会は甘いものではありません。誰もが自分のより良い生活のために、他の人よりも抜きん出た実績を残そうとして頑張っています。ただ時間をかけるだけでは追いつけないことも多々あります。ただ努力するだけでは到達できないことも沢山あるのです。

留学してさまざまなことを学んだからといって、すべてがうまくいくというわけではありません。留学したからといって、何もかもが思い通りになるというわけではありません。学んだことが活かせないことも沢山あります。学んだことがムダになっていると感じる局面もあるでしょう。それが「社会」であり、人の人生そのものです。「仕事」は勉強とは違うということです。

誰かが何かにお金を払って、はじめて経済が循環しているのです。誰かが何かを得るために、支払う金額以上の価値を感じてはじめてそのビジネスは成立するのです。それに関わること自体が仕事であり、そうして得た対価から少しずつ各人が対価を得て、残ったものが利潤であり、その利潤によってビジネスがまた拡大していくのです。そのようなサイクルのなかに自分が学んだことがうまく活かせればいいのですが、そうではない場合、自分の存在理由はなんなのかと迷ってしまうことになるかもしれません。

学生時代に夢を見ていたこと、思い描いていたことがそのまま実現するわけではないということです。そのまま自分のためになるわけではないということです。何をやるにしてもそうです。なにもかも思い通りに事が運ぶ人の方が少ないものです。そうして迷いながら、挫折しながら、人は成長していくものです。

そのための「素地」は、学生時代に身につけるしかありません。待ち受けるさまざまな困難に打ち克つために必要なことは、何があっても負けないという信念と、どのようなことに対しても柔軟に対応できる機転です。それは学問のように単純なことではありません。ケースによっても違いますし、どのような局面においても「これが正解」ということはないのです。大切なのはその場で適切な選択ができることです。その場で適切な判断ができることです。それは公式のように定まっているものではなく、自分で切り開くものです。考えなければ活路はなく、通常の攻め方では到底落とせないような城を、少しの機転で攻め落とすというようなクリティカルなものです。

ただ留学して学んだからといって、社会は受け入れてくれるわけではありません。仕事で活躍できてはじめて、認められるというものなのです。企業に対して、組織に対して、貢献できてはじめて成立することなのです。それは留学するだけで身につくことではありません。