留学は「過程」にすぎない

留学は簡単に行えるようなものではありません。実際に留学するためにはさまざまプロセスがあり、留学することが「目標である」と、いえるだけの一大イベントではあります。

ですが、留学をすることが人生の終わりではありません。その後も私たちは生きていくのですから、留学することで何を学んで、その後に活かすのかということが大切なのです。ですが、学生時代といういわば「モラトリアム」の期間では、何か楽しいことを追求することに躍起になってしまうもので、「その後」のことは考えられないということも多いものです。留学を終えたあと、自分が何をしたいのかということと、「何ができるのか」、「何をさせてもらえるのか」は別のハナシでもあります。実際に「雇用」してもらうということの大変さは、留学までのプロセスよりも厳しいものであることは間違いありません。

ですが、実際の留学生活では日本とはまったく違った生活環境、全然違う価値観を持った新たな友人たち、そして自分が夢見ていた新たな暮らしがそのような「少し先の未来」でさえも曇らせることになります。その日、その時の自分に対して思考はいっぱいになり、その先に自分を待ち受けるものが曖昧になってしまうのです。本当は数年先にはもう働いていなければいけないのに、そのようなことを忘れてしまいがちになってしまうのは、その時に置かれる環境が目まぐるしいからでもあるのでしょう。

ですが、私たちは実際に社会に参加しなければいけない宿命を持っています。ずっと誰かの庇護を受けて生きていくことは不可能なのです。私たちは自分のチカラで稼いで、自分の経済力で自立して、自分のチカラで納税しながら生きていけるようになる必要があります。そのようにしながらまた次世代を育てなければいけないという責任もあります。

そのようなことを考えると、実は私たちが「学ぶ」期間は全然モラトリアムなどではないということがわかります。むしろ準備期間としても足りないくらいであるということがわかるのです。実際のビジネスマナーを学べるのは、実際に働き始めてからですし、ビジネス上大切なことも、自分だけでは学びようがないということもわかるはずです。企業によっても正義が違い、「良い」とされていることが変わってしまうものです。

そのような状況で一番必要なのが「バランス」であるということを、私たちは身を持って知ることになるのです。日本人に陥りがちな朝早くから遅くまで働くということが、度を過ぎると人生を破壊してしまうということや、そのようなことをしていなくても自分よりも稼いでいる人がいるという現実に対して、私たちはそれぞれさまざまに感じることがあるのです。

それらは何か体系立てて学べるようなことではなくて、実際に働きはじめてから感じることになる現実です。実際に働いてはじめて分かるようになる社会の厳しさであり、振舞い方 の大切さなのです。学生時代に勉強できるようなことではないのです。ですが、働き始めるとそのようなことを覚えても覚えなくても、自分に課せられる責任がどんどんのしかかって来ます。自分が怠けるだけで仕事が停滞してしまうということになってしまうのです。留学を経て、そのような厳しい社会に誰もが飛び込むことになるのです。