ネットはまだまだローカライズされている

インターネットは国境を飛び越え、世界中のさまざま情報をそこにいながらにして得ることができるものです。インターネット自体は世界中で構築された「インフラ」によって支えられていて、各サーバー間のデータのやり取りです。

インターネットは「グローバル」の象徴でもあります。海外のWEBサイトへも即座にアクセスすることができ、情報を引き出すことができるのです。ただ、やはり私たち日本人は日本語以外の言語がどうしても苦手です。私たちの母国語以外の言語を理解できる人は少ないのが現状で、どうしても日本語のWebサイトしか見ないという人も沢山いるものです。

世界中につながるはずのインターネットも、「言葉」の壁を簡単に超えることはできないのです。パソコンやブラウザに搭載された翻訳機能も精度を上げてはきています。異国の言葉を即座に翻訳する機能は、年々強化されているのです。ですが、それでも私たちはわざわざ英文のサイトを進んで見るということが少ないものです。それは自分たちの「文化」とは違うからで、インターネット上で見たとしてもそこに「違和感」や居心地の悪さを感じずにはいられないからです。物理的に、システム的に可能であっても、さらに言葉の壁を突破する機能があったとしても、それが内包する「カルチャー」の違いが、私たちにそれを避けさせるのです。

そういう意味では、インターネットはまだまだローカライズされたものであり、日本人が見るためのサイト、欧米圏の人が見るためのサイトと、くっきりとわかれてしまっているのも仕方がないことかもしれません。日本語などは世界で見れば少数の人しか話さないローカルな言語であり、インターネット上では弱小の言語です。やはり世界の共通語となった英語を理解すれば、インターネットの中でも世界は一気に広がるのです。新しい言語を習得することは、新しい文化、新しい情報に触れることができるということです。

日本語だけしか知らない状態では、誰かが海外の新しい情報を日本語に翻訳してくれなければ理解できないのです。ですが、それでは二次的、三次的なものになってしまいます。フレッシュな情報とはいえません。ビジネスにおいても同じです。ビジネスにおいても、そのときの最新情報を捉えなければスピードがおいつかない局面が多々あります。その「スピード」自体が、その言葉を理解できることであったり、翻訳せずとも意を汲み取れることであったりします。

各言語にローカライズされたインターネット上の情報は、そのときの最先端の情報をはらんでいます。それを得ることで、国際的に先進的な発想を抱くこともできます。言葉を覚えるということは、習得するということは、それらの「境界線」を乗り越えるチカラです。その国のなかだけではなく、物理的に移動せずともグローバルな視点で情報を収集することができるようになれば、ビジネスのスピードも一気に向上するのではないでしょうか。インターネットは開かれているのに、言語が乗り越えられないから、ローカライズされてしまっているのです。その国、その場に居ながらにして、国際感覚を身につけることができるのもインターネットです。言葉を覚えるだけで出会える情報が一気に増えるのです。